ツイッターでやれよって話

 
 フィボナッチやばそう

理と四季

 

 

先日、京都大学のシンポジウムに参加してきた。

行く前に、近くにある古本屋さんでゆっくりしてようと思っていたのだけど、あいにくかなり雨がひどかったので直行することにした。

 

開催場所は棟の5Fだった。行くまでにラボがいくつかあって、西館1Fではガラス張りだったのでラボの中が見えた。(ラボだったか確かではないけど...!)

 

うおお...すげぇ...とか思いながら会場で1時間ほど待機したのち、シンポジウム開始。

 

 

内容はレベルめちゃ高...という感じで学部生などにはとてもわかりやすそうな感覚を受けた。

 

自分もわからないながらも理解しようとして、そしてかなり面白かった。

 

 

特にランダムウォークが面白く、中でも

・ランダムということはどのものにも高確率で現れるべき

・ローカルに分析すると同じ構造が見えてくる

バウンダリーがなくならないように回転数に注目する

・どれも2次元での話なので、3次元ではどうなるかがまだわからない

というあたり、とても面白く、感動していた。

 

 

1番目は、ランダムであるということを別観点からみるとつまりはこういうこと、といったような観点の転換がぶわぁと広がる感覚があった。

 

2,3番目もランダムウォークをこのシンポジウムの前日に調べて初めて知ったような域であったけれども、同じ構造が見えてくるなんて面白すぎるし、回転数に注目するあたりもわかりやすく、面白かった。

 

そしていちばんが最後のどれも2次元における話であること。3次元では話が変わってくるかもしれない、まだ解明されていないことが多い分野というのがとても興味をそそられた。

 

軸がもう一個増えることによって変化することとしないこと、とても面白そう。

 

 

他、お話はどれも面白かったのだけども、面白いの前にわからないが勝ってしまっていた状態だった。

その分野に関わっている人ならもっと面白く聴けたんだろうな、と思うとなんだかあの時間がとても惜しい気がして、もっと学びたい気持ちが反動で出てきた。

 

 

最近、引っ越しや手続きなどでゆっくりじっくり学べる時間が少なくなっていたので、4月はリズムを整えて学ぶ時間をある程度持ち、保てるようにしていこうと思う。

 

 

なんだかいま、またぽわぽわと数学について頭に浮かんでいる。

教育関係であったり、数学そのものであったりする。

 

数学に興味を持つ以前にあった、わかりっこないという感覚が、むしろよくわかるような気もしている。

 

いまでも書物を読んでいても(だめだわからん...)となるところはたくさんある。自分の理解レベルに合っているものをできるだけ選んでもほんとうに、これ何言ってるんだ...みたいなところがたくさんある。

 

けれどもそこから、それでも理解したい、知りたい、と思うようになったのは確かに、ほんとうに不思議だ。

 

 

これほどまでに厳密に議論できるものがあるんだろうか、と深く感動するところと、しかしながら偽でも真にできうる、ほんとうは全てつくりものなのかもしれない、と云うところの面白さ。他にももっともっと、魅力が詰まっているのだと思う。

 

 

昨日からずっと、理学部へ行きたいなという気持ちが強くなっている。

自分の望みでいけば、狭べずに学びたい気持ちがあるんだけども、最近読んでいた本にも何か軸を決めなければいけないことを強く書かれていて、それに感化され軸は理数系、今のところ数学の方面がいいなと感じた。

 

 

学ばねば、学ばねばと少し焦りのようなものも感じている。

もっと知りたいという気持ちがこちらに来てとても強くなっている。

 

ふわふわとした縛りのない環境というのは確かに過ごしやすくはあるのだけど、がつがつとした愚直である程度縛りのある環境の方が自分の好奇心はより育っていくのかもしれない。

 

 

 

 

先生はどの歳にも折々の四季があると仰っていた。

わたしもその通りだと思っている。

若いというものが理由にはならない。そうあるべき時には常に力を尽くしていたい。

 

先生の言葉は、覚悟なのだと感じた。

 

 

 

 

螺旋環状百学連環

以前から、興味があちらこちらへ移り、そこで得たものは別の場所で使われてさらに理解が深まるといったような状態が面白いなと思っていて、どんな風な表現がよいかなと考えていた。

 

つい昨日、京都駅近くで勉強に関するイベントに参加した。そこで、分野のパラレルについて触れた。

 

 

 パラレルというのが少し物足りなさを感じる。そんな平行線ではなく、もっと複雑で不思議な仕組みになっているのではないかな、と思った。

 

そうこう考えて、螺旋と環状と百学連環までたどり着いた。 

 

百学連環は江戸後期、西周という人が翻訳したときに生まれたそうだ。

(百学連環についても西周という人についてもあまりよく知らない)

 

 

「百学」が「たくさんの学問は」で「連環」が「輪が連なって繋がっている状態」。

 

  特に、連環という音の響きと漢字の形がかっこいい。

 

 

学問のつながりや広がりは螺旋や環状のようなものだろうと思っていた。各々が独立しつつも他との交わりがある状態、どこかで何かが繋がって全体を成しているといったようなイメージがあった。

 

せかいをつくるもの

実数(real number)という数がある。

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これらは数直線上に存在する数である。そういう数を実数という。

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16世紀、数は実際にあるもの、数直線上に表せるものと考えられていた。

 

この実数は、実数同士をかけると(2乗すると)必ず0以上になるという性質がある。

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こんな感じに。

 

では、2乗するとマイナスになる数というのは考えられないか。

 

考えてみるんだけれども、これは実数直線上にその数を表すことができない。

なぜなら実数直線上に表すことのできる実数は、2乗すると必ず0以上になるからである。

つまり、2乗するとマイナスになる数というのは実数とは異なる数ということになる。

 

 

そこで、2乗するとマイナスになる数で、実数直線上では表せず実在しない数,想像上の数ということで、その数を虚数(imaginary number)と名付けた。

 

 

2乗するとマイナスになるということで、こう表してみる。

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うんうん、2乗して、マイナスになっている。

 

書き直して

f:id:mimelis249:20170305155145p:plain または f:id:mimelis249:20170305155151p:plain

 

などと表す。

 

f:id:mimelis249:20170305155446p:plainf:id:mimelis249:20170306091008p:plainで表したのは、1770年頃スイスのレオンハルトオイラーが最初なのだそうだ。このf:id:mimelis249:20170306091008p:plain虚数単位という。

そのオイラーだけれども、実数直線上で表すことができない数(虚数)の存在を

不可能または想像された数 

 

 これらが0より大きくもなければ、小さくもないと考えるだろう。しかしながら、0そのものだとも言えない。だから不可能だと解しなければならない。

と言っている。

 

オイラーは「数学の至宝」といわれるオイラーの公式を生んだ人だ。

このオイラーの公式もめっちゃ面白いんだけれども、まだ理解がきちんとできていない。

 

そんな至宝といわれる数式を生み出したオイラー先生でも虚数をよくわからない存在と捉えていた。

 

虚数恐るべし。

 

 

 

しかしながら、この想像上の数 虚数が数として認め始められることになっていった。

それは1810年頃、カール・フリードリヒ・ガウスという人が複素平面を考えたことがきっかけだった。

 

この複素平面は数平面、複素数平面とかって書かれることもある。

 

 

 

デカルトが負の数,0,正の数を直線上に表したといわれているんだけれども、それと同じようにガウス実数直線の横軸に縦軸を描いて虚数を視覚化しようとした。

 

f:id:mimelis249:20170306094036p:plain  Wikipediaより

 

 

この複素平面がとっても面白い。

 

この平面の中で実数を表しているのが横軸

 

 

 

横軸だけ。

 

 

 

 

ちょっともう一度複素平面を見てみる。

 

f:id:mimelis249:20170306094036p:plain

 

横軸が実数。

それ以外は全て虚数だ。

 

 

すげぇ...。

 

実数より虚数の方が比べ物にならないくらいたくさんある(?)ことがわかる。

 

 

わたしたちが住む世界というのは実数に溢れているよりも、多くの虚数に溢れているのかもしれない。

 

 

実は、この虚数というのが物理学の量子力学を大きく発展させることになる。

 

想像上の数 虚数の存在を前提とすると、たとえば

 

光は粒子である

 

とかが分かった。

 

そこではじめて星が見えることが解明されたりするらしい。

 

 

この辺りはまだほとんど触れたことがないので、そうらしいということだけにしておく。

 

しかしながらそれ以外にも、エネルギーとか時間とか宇宙とかそういったものの解明に役立っているそうだ。

 

 

虚数すげぇ。

 

 

その反面、なんかよくわからないこともあるらしい。

やっぱり想像上の数を前提としているからなんだろうか。

 

そう、猫とか。

 

 

 

 

 

 

ちょっとお試しで書いてみたのでここまで。*1

 

 

 

*1:興味本位で書いてみているので、誤謬は教えていただけますとうれしいです。

Hello,twilight crows.

 

ずっと尊敬していた先生に先日お会いしてきた。

 

高3の時に国語を担当されていた。学ぶことの楽しさにはじめて出会う機会を与えてくださった先生だ。

 

先生に会う前の数ヶ月間は学びたい気持ちを抑えて受験勉強をしていることがとても辛かった。

大学へ行こうと思い3年間ほど勉強してみたが、受験勉強と言われる一般的な勉強形態が全く合っておらず、一向に理解が進まないまま終わってしまった。結局、先生からも現在の受験勉強に不向きだと言われた。

 

 

塾へ通ってもどうも合わない、何かが違うという状態が続き、結局宅浪をしていた。

その中で、自分がやりたいことは勉強ではなく学びなのでは、と思い、先生にずっとお会いしたかったこともあり相談してみようと思いお会いした次第だった。

 

 

 

ずっと考えていた。

 

自分の家は小さい頃から親の喧嘩が比較的多い家だった。いつからかはよく分からないが、かなり早い段階で借金の生活をしていたのだと思う。

 

浪人をしている中で、何度もいくつかの壁にぶつかった。

 

そもそものスタートラインの違いが大きすぎた。3年では到底埋めれそうにない。色々な受験体験を読んでも、環境がそもそも違いすぎて真似ようにも真似ることができなかった。周りの「普通」に私はついていけなかった。

 

 

 

環境に理由をつけるなんてという意見はよく聞くけれども、環境が障害となっている場合というのは考えてみるととても多いように思う。まだまだこの国は、生まれた家庭によって進むことができる可能性のある道の数に大きく偏りがあると強く感じている。貧困,格差,居場所という面を学ぶということから行くゆくは変えていくことができればと考えている。

 

その前に、自分が学ぶことをとことん楽しまなければ始まらない。

 

ここは、色々と学んだことを書き出す場所にしようと思っている。

彼は誰時の烏たちがいろんな見たこと聞いたことをお話するような感じで。